あなたが見聞きすることは全てあなたという宇宙の中に在るものだ。
よって、あなたにもその責任がある。
だからと言って、あなたのせいではない。
なので、あなたがあなた自身を責めるものではない。
ただ、あなたはその問題をあなたの中の宇宙から受け取り~その後どう捉え
るか~どう観るか~従えるか…という事を任されているだけ。
あなたには、選択の自由とその責任があるだけ。
誰をも、あなたを責めることは出来ないし…責める材料~原因はない。
だから、あなたは、何も悪くないのだ。
宇宙がいついかなる時もあなたを愛している様に、あなたはただあなたを愛し
続ければ良い。
一人一人のあなたがあなたを愛し続けたら、この世には本当の愛人しか残ら
ない。 それが、愛の世界だ。
一人のあなたがあなたを愛し…100人のあなたがあなたを愛したら、100人
の内誰があなたを憎むのだろうか。羨むだろうか。ののしるだろうか。傷つけ
るだろうか。
もし、あなたが自分の手を嫌いとしよう。
あなたが手を切ったとしても、その手があなたの一部であることやあなたから
切られた手であることは、まぎれもない事実だ。
そうやってあなたの嫌いな箇所をあなたから取って捨てたとしても、あなたの
今感じている気持ちは消せるのだろうか。
消せるというなら、話はまた別の次元になるが恐らく大半は消せないはずだ。
どんなに、追いやってもあなたというあなたは消せないものなのだ。
何故なら、一瞬々あなたという想いは創造され蘇生されているから。
だから、もはや追いやって消そうとする想いに観念して、あなたがあなたとい
う存在を受け入れる方が早道というものだ。
あなたがどんなにあがいても、いつかは観念する時がやって来るから。
あなたがあなたを嫌いになり…あなたを消そうとすればする程、その苦しみは
大きくなる。しかし、あなたがあなたを嫌いという気持ちのまま~その気持ち
を消そうとしなければ、その気持ちは自動的に消えていき…次第に苦しみか
ら安らぎを感じているあなたを観ることだろう。
考えてみて欲しい。今、そのことを真剣に…。
そして、まず あなたがあなたを愛することから始めよう。
あなたの大切な人を大切に想う様に…あなた自身を大切に思うのだ。
はじめは、思い込みでも構わない。違和感があっても構わない。
ただ、ひたすらあなたがあなたを褒めちぎることでも構わない。
頭をなでて、「〇〇さん(名前)、いつも私の為に働いてくれてありがとう!」と
言うだけでも構わない。
あなた以外の人を褒めた時に「〇〇さんを褒めてくれてありがとう!」と自分
自身も褒めるのも構わない。
自分自身を褒めながら、嫌な気持ちが出てきたら、その「嫌な気持ちに気づ
かせてくれてありがとう!」と気づいた自分に感謝することでも構わない。
ここにあげたのは、ほんの一例だ。
どんな方法でも構わない、とにかくあなたがあなたを大切に愛することだ。
そうやって、あなたがあなたを大切にし始めた時から、あなたというかけがえ
のない存在に本当の意味で気づく。
苦しいのなら、つべこべ言わずに真剣にそのことをやってみることだ。
やった分だけ、その結果~気持ちをあなたは受け取るのだから。
実際にやったあなたしかこの結果~気持ちは受け取れない。
私があなたの代わりに受け取ることは出来ないのだ。なぜなら、私は
あなたではないから。
私があなたの代わりに食してもあなたは満足しないが、あなた自身で食すれ
ば満足することと同じだ。
だから、やったあなたにしか味わえないものなのだ。
あなたの中の宇宙から、自愛~慈愛に挑戦したあなたに与えるご褒美だ。
さぁ、あなたは やるかやらないか…どちらを選ぶだろうか。
どんなあなたもあなたなのだから。
あなたは、常に愛されている。
真友~みちとも